第三回「日本方法文学試論」

2005年5月15日(日)13時30分より
下目黒住区センター 2階 下目黒老人いこいの家にて

講師:松井茂

これまでの「方法」の活動を通じて制作した自作とそのパフォーマンスから、体験的に日本文学を俯瞰する試み。つまりは、「詩」が芸術上の一分野を意味すると同時に、芸術そのものとして君臨してきたことを、今さらながら公言したいと思っている。二度の方法芸術祭、うらわ美術館、豊田市美術館でのパフォーマンスなど記録も上映予定。

今回の講師は詩人・松井茂氏です。「純粋詩」「量子詩」などで知られる松井氏の方法作品は、文学の起源まで立ち返って考え抜かれて作られています。今回の講座では、その思考の過程が明らかにされました。

講座は「マン・マシーンの構造と快楽」(読売新聞、2005年5月14日に掲載)の朗読から開始されました。この作品のテーマは「順序」です。作品前半部分は作曲家ピエール・ブーレーズの『二台ピアノのための構造 第I巻』における音列操作を、そのまま言葉に移し変えたものです。松井氏の作品のほとんどは、アルゴリズミックなテキスト生成によって制作されているか、アルゴリズムそれ自体の説明をしています。『構造〜』の引用は、非常に象徴的な氏の作品制作法をしめした一例ともいえるでしょう。

氏は、文学を祭式的な共同体の儀式から、パフォーマンスを引き算し、その結果テキスト化されたものであると定義します。さらに、普遍的な詩自体の定義を検討するために、古代日本文学の神謡を参照し、非日常的な「神らしい」言葉遣いの発明(発見)こそが詩の原型と述べています。その後、詩が言霊的な価値を持った古代を下り、芸術として意識されるようになると、神謡の形式的特徴は、倒置法、列挙法、対照法、交差配語法などといった修辞法に置換されます。氏は、自然的で言霊的で詩と、人工的で芸術的な詩に共通するものは、語順だと指摘します。詩の還元した到達点のひとつとして、構造それ自体、つまり「順序」を作品としてしめすということがありうるというわけです。

松井氏は、自らが詩を書く上でパフォーマンスは前提としない、つまり、パフォーマンスを排除する、と言います。しかし詩は多ジャンルとの交流があります。朗読というパフォーマンスです。そこに参与する松井氏はジレンマを感じながらも、パフォーマンスを前提としない作品を制作し、文学あるいは詩の根幹にある構造を示せるよう、あえて詩をパフォーマンスするというスタンスをとります。氏にとっての朗読は、「順序」を示すためのデモンストレーションです。

最後に、方法マシンが2004年の神奈川公演で行った「純粋詩」について、それ以前のデモンストレーションの記録(2002年「第二回方法芸術祭」、2003年うらわ美術館「朗読会〜方法詩とその周辺〜」)が上映されました。これは、読み手の個性を表現するというような朗読ではなく、歩いたり、数えたりと、「文字通り」の行為を行なうという趣旨の「文学デモンストレーション」の事例です。これらの説明を通して、松井氏は、実作はもちろんのこと、デモンストレーションをも通じて、文学とは何かを明確に示し、探求して行きたいと述べました。




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